僕の初恋の少女
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だが、意外なことが起きた。

次の日、授業が全部終わると昨日の迷子が僕のクラスの前で待っていたのだ。
上級生の所まで来て一人待つなんて勇気があるんだな、なんて僕は少し感心する。

「あの、お礼をしたいとおか……母が言っているので、家に来てもらえませんか?」
どうしたのか聞くと、宮野さんは僕の目をまっすぐ見てそう言った。
「えーと……」
意外な展開に僕は少し面食らってしまった。
だって、ちょっと道案内をしたくらいでお礼なんて、想像するのは難しいことだと思うんだ。
「お願いします、来てください」
僕は謹んで辞退しようとしたのだが、人目が気になったのと宮野さんがあんまりにも真剣に何度も言うので断りそこねてしまった。

その日は土曜日で、給食がなかったから僕はどこかでパンでも買おうかと思っていたのだけど、宮野さんがまっすぐ家に帰ろうとするから仕方なくその後ろについていった。
「ねえ、本当にいいの?」
「はい、いいんです」
困ったな。気が弱いのかと思えば変に強引で。
……まあ、いいかな。面白いと言えば面白いし。
「じゃあ、お邪魔しようかな。君、学校から家には一人で帰れるの?」
「はい、頑張ります!」
……ああ、なるほどね。
僕はやや歩くペースを落としながら、必死に手書きの地図を睨みながら歩く宮野さんの後ろについていった。

若干迷いつつ、昨日行ったばかりお宮野さんの家に着く。
「ただいま、お母さん!」
「おかえりなさい」
出迎えてくれた人はとても綺麗な人だった。
すらりと背が高く、淡い草色のエプロンをして微笑んでいる。
こんなに若い人がこの子の親なのかと、僕は正直少し驚いた。
「あなたが九条春臣君、かしら」
「はい」
頷く僕に、その人はニッコリと微笑みかけてくる。
「この子に親切にしてくれてありがとう。どうぞ、上がってください」

家の中に入ると、昼食だというオムライスが僕の分まで出される。
唐突な展開についていけないでいると、宮野さんのお母さんが僕を見る。
「今日は無理を言ってしまってごめんなさいね。お家に連絡しなくても大丈夫かしら?」
「それは、平気ですけど」
「いただきまあす」
隣では宮野さんが早速オムライスを口に運んでいる。
「おいしい」
幸せそうな顔して食べる子だなあ。
というかこの子、僕のこと完璧に忘れてオムライスのことしか考えてないよね。

……さて、僕はどうしたものか。
すぐに手をつけるわけにはいかないぞと思っていると、宮野さんのお母さんが僕の顔を覗き込んだ。
「ごめんなさい。オムライス、嫌いだった?」
「いえ、そうじゃないです。……あの、僕が食べてもいいんですか?」
「勿論よ。どうぞ」
「じゃあ、あの、いただきます」
促されて、僕はようやくスプーンを手に取った。

柔らかい黄金色の卵に、ケチャップの味じゃないチキンライス。
添えられたアスパラガスのソテーもコーンスープもどれもあたたかくて美味しかったけど、馴染みのない味に少し戸惑った。
「美味しいです」
「あ、よかったあ」
僕が言うと、宮野さんが屈託なく笑う。
いや、作ったの君じゃないけどね。
「この子、本当に道覚えが悪くて……方向音痴っていうのね、きっと」
「そうみたいですね」
方向音痴か。あれは病気のようなものらしいね。
「でも今日は迷わないで、ちゃんと行って帰ってこれたんだよ」
「沙耶、それは出来て当たり前なのよ? もう転校してから三日目でしょう」
スプーンを握り締めて嬉々として報告する彼女に、宮野さんのお母さんが溜め息をつく。
「でも明日からは地図なくても大丈夫だよ」
「本当かしら」
「……」
不安げに僕をちらちら見るから、仕方なく頷いてあげた。
分かった。
君が間違えた道に入ろうとする度に軌道修正したのは黙っておいてあげよう。

「お口に合えばいいんだけど」
オムライスを食べ終わると、今度は熱い紅茶にケーキまで出してもらう。
さすがに申し訳なくなってきた。
これじゃまるで竜宮城だ。
僕はまだおじいさんにはなりたくない。
「あの、僕、本当にここまでされる理由なんてないですよ」
「あら、迷惑だったかしら」
「そうじゃなくて。その、だって当たり前のことしただけなんですよ。こんなにしてもらう理由がないです」
「それを当たり前だと言えるあなたは、優しいのね」
その視線に、僕は目をそらしたくなった。
優しい。僕は優しいのか?
いい子だと言われるのは慣れているけど、そういう風に言われると違和感を感じる。
「困ってる人を助けるのに優しいも優しくないもないですよ」
変だな、怒っているわけじゃないのに、怒ったような声が出てしまう。
僕、緊張してるんだろうか?
「あなたがいなかったら多分、沙耶は夜まで帰ってこれなかったと思うの。私も沙耶も、あなたにとても感謝しているんです」
「うん、そうです」
宮野さんも母親を真似するように頷く。
君はフォーク置いてから喋りなよ、と僕は思った。
「だからお礼をさせて欲しかったの。それとも、本当に迷惑かしら? だったら言ってね」
「いえ、だから……そういうことではないですけど」
どうもこの人は、変な迫力がある。
話していると、普段隠している僕の頭の中を見透かされる気がして居心地が悪い。
僕は誤魔化すようにケーキを口に運んだ。
「……美味しい、です」
「ありがとう」
柔らかい微笑みに、何故か胸がドキドキした。
なんだ、これは?

「それじゃあ、ゆっくりしていってね」
彼女のお母さんが部屋を出て行く。僕はケーキをつつく宮野さんに声をかけた。
「君のお母さん、綺麗だね」
「えへへ、そうですか?」
自分が褒められたように笑う姿が微笑ましい。
静かな迫力を感じさせる母親と違って、この子はまだまだ無邪気なようだ。
「こんなにご馳走になって、悪いみたいだよ」
「気にしないでください。お母さん、私が初めてお友達を連れてきて嬉しいんだと思……あ、ごめんなさい」
宮野さんが自分の口元を抑える。
「年上なのに勝手にお友達なんて言って、よくなかったですか?」
「いいよ。せっかく知り合えたんだし。それに君、転校生でまだ友達いないでしょう?」
「えっと、多分……はい」
「じゃあ僕が君の友達一号ってことで、どうかな」
僕の言葉に、彼女が歯をこぼれさせるようにして笑う。
「嬉しいです。じゃあ、仲良くしてください」
「うん、よろしくね」
宮野さんが手を差し出してきたので、握る。
二度目の握手。やっぱり、小さい手だった。
この小さな手のイメージは、それからずっと僕の中で彼女と直結したものとなる。

帰り際、小さな紙袋を渡された。
さっきのケーキが入っていて、お土産だという。
「またいつでも遊びに来てね」
「バイバイ」
微笑んだ彼女の母と無邪気に手を振る少女の姿が、帰り道の間もずっと頭に残っていた。

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