蜜月
01 02


その年、俺は二週間ほど谷川の家に滞在した。
谷川と少女。
二人の関係は言葉では形容し難かった。
年の離れた兄弟のようでもあり、恋人のようでもあり、本人達の説明するようにそれが家族だということなのかもしれない。

二人は出来る限り時間を共有するようにしていた。
谷川が仕事で泊りがけになる時は少女も同行し、二人きりの旅をする。
少女は学校が終わるとまっすぐ家に帰る。
仕事をする谷川のそばで少女は本を読んだり、宿題をしたりしていた。
少女は疲れると猫のように体を丸めて眠ってしまう。
それを谷川は……怖ろしく穏やかな表情でベッドに運ぶのだ。
そして手を繋ぎ、一緒に眠る。

結果的に俺は、二人の蜜月の唯一の目撃者であったのだろう。
二人はいつも寄り添い、何もかもを共有しあっていた。
怖ろしい事に、二人はいつもお互いのことで頭が一杯で、感情のベクトルがまるで同じ方向を向いていた。
互いに必要としあうことに疑問すら感じていない。
そこは小さな楽園のようだった。
大人になれないアダムと頭の良い小さなイブ。

あの少女を手に入れたあいつに羨望を感じないかと言えば、それは嘘になる。
だが同時に、俺はこの長い付き合いの友人を心から哀れんだ。
傷は舐めるだけでは塞がらない。
表面的に上手くいっていると思っても薄皮一枚剥げば、またすぐに血が噴き出す。
傷を舐めあいながら傷を失くさないために歯を突き立てるような、そんな発展性のない依存関係。
その共依存を指摘するほど、俺は優しくもなければ残酷でもない。


その日、谷川は仕事の打ち合わせで中々帰ってこなかった。
「沙耶ちゃん、何をしているの?」
「あ、柿澤さん……」
声をかけられて、少女が俺を見る。
本当にこの子の瞳にはあいつしか映らないように出来てるんじゃないかというくらい、少女は俺の存在に無関心だった。

寂しい目をした少女は、膝を抱えていつもどこか遠くを見るようにして谷川を待っている。
膝を抱えるのは日頃行儀の良い少女に似合わない行動だったが、どうやら癖のようだった。
谷川が注意をしても、少女もこれは体育座りだといって譲らない。
『彰人ってば怒ってばっかり』
どこか嬉しそうにそう言う彼女を見て、この子は守られるべき自分を演じているのだと気付く。
無邪気に自らの行動を計算する少女は健気で、少しだけ狡猾だ。
だが、彼女の身に起こったことを考えれば、それは当然なのかもしれない。
谷川もまた彼女に口やかましく注意することで自分を保護者というポジションに置いているのだろう。
……俺は思うのだが、症例……ケースというのは、当てはめるために存在しているのではない。
誰に教えられたわけでもなく、彼らは自然とそういう振る舞いを行うのだ。
望む関係を演出するために。

「柿澤さん、ね。君くらいの年の子に『さん』付けされるのって、なんか変な感じだね」
「そう、ですか? じゃあ……柿澤のおじさん?」
少女が小首を傾げながら聞いてくる。
「……それは地味に傷つくから、やめて欲しいかな」
「分かりました。やめます」
少女はあっさり頷くと、また視線を窓に戻す。
……この子、本当に俺のことどうでもいいんだな。
「ねえ沙耶ちゃん、名前で読んでくれない?」
めげずに聞くと、振り向いた少女は目を丸く見開いていた。
「年上の人を名前で呼ぶなんて出来ないです」
相手への要求は自分にして欲しい事への裏返し。
それは俺にも君を呼び捨てるなって事だねと思ったけれど、口には出さない。
「え、でも谷川のことは名前で呼んでるよね」
あえて何も知らない顔でそう聞くと、少女が微笑んだ。
「彰人は特別だから」
まるで比べるなとでも言うような口ぶり。
そう言って、少女はまた遠くを見る。
膝を抱えて、俺のことは本当に忘れてしまったみたいにまっすぐに谷川の帰りだけを待っている。

ただ一心に谷川の姿を探す少女の姿に、俺の好奇心はまだ収まらない。
好奇心猫を殺すと言うが、さて。
この場合の猫は、誰だ?


END
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