「それより、どうして黙って通り過ぎようとした?」
男がゆっくりと立ち上がる。
無表情のままなのに、瞳だけが暗く鈍く光っていた。
鋭い視線。
「あ……」
それを見て、私もようやく気付くことができた。
時間が動いて呪縛が解ける。
この男は、私の敵だ。
「……帰って下さい」
「何?」
聞き返す男に、もう一度、今度ははっきりと言った。
「帰って下さい」
「……嫌だと言ったら?」
男が私を見つめる。
「私はあなたに用、ないです。だから、いなくなってください」
男を睨み付けて背を向ける。
無視するように一歩踏み出して、鍵穴に鍵を入れようとした。
「待て」
その瞬間、何かを叩きつけるような音と風圧を耳元のすぐ近い所に感じて、
その衝撃に思わず私はびくりと動きを止めてしまった。
「残念でした」
声が降ってくる。
男が後ろから私に覆いかぶさるようにして、ドアを手で押さえていた。
状況を把握して血の気が引く。
叩きつけられたのは、ドア。叩きつけたのは男。
私はドアを開けられない。
「……っ」
この状況から逃げる手段はもう、見つからない。
失敗した。
私は、失敗した。
「悪いけど、君になくても俺は用がある。だから帰らない。
……なあ、君は俺を無視して家に入って、それで上手くいくと思ったのか?」
冷ややかな声が降ってくる。
顔は見えなかったけど、責められているのだと感じる。
「こっちを向きなさい」
「……ッ」
強い力で顎をつかまれて、強制的に男の方を向かされる。
また、男と目が合った。
顎をつかまれているから今度は目を、そらすことができない。
「……ふん」
何も感じることができない、完璧な男の無表情。
夏だというのに、私の背中をすっと寒気が通り過ぎていった。